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ホイアン

ホイアン(ベトナム語: Hội An・英: Hoi An, 漢字:會安)とは、ベトナム中部クアンナム省の都市であり、ダナン市の南方30キロ、トゥボン川の河口に位置する古い港町である。人口121,716人。ヨーロッパ人にはファイフォ 、フェイフォ(Faifo) と呼ばれたこともある。中国人街を中心に古い建築が残り、1999年(平成11年)に「ホイアンの古い町並み」としてユネスコの世界文化遺産に登録されている。

 
ホイアン旧市街地

概要

チャンパ王国時代からの古い港町で、16世紀にチャンパは南に後退し、フエに広南阮氏政権が樹立されると、その外港となった。ホイアンの名称はその頃に成立したと思われる。

16世紀末以降、ポルトガル人、オランダ人、中国人、日本人が来航し国際貿易港として繁栄した。1601年には広南阮氏は、徳川家康に書簡を送って正式な国交を求め、江戸幕府との取り引きが急速に拡大した。朱印状による約30年間にわたる朱印船貿易のうち、広南には71隻が入港した。ホイアンには大規模な日本人街や中国人街が形成され、1623年にはオランダ東インド会社の商館も設けられるなど、繁栄を誇ったが、間もなく江戸幕府の鎖国により、日本人の往来が途絶え、オランダの商館も1639年に閉鎖された。


トゥボン川から見たホイアンの旧市街地

17世紀後半、清朝と鄭氏台湾との対立から遷界令が出されたことは、さらにこの地域の交易を停滞させ、一時期の繁栄は失われていった。1770年代には、西山(タイソン)党の乱によって、町は完全に破壊されたが、やがて再建され、19世紀まで繁栄した。しかし、ホイアンと南シナ海を結ぶトゥボン川に、土砂が堆積して川底が浅くなった結果、大型船の往来に支障を来たす事となり、国際貿易港としての繁栄は、ダナン港へと移行した。

一方で、街並みは残され、ベトナム戦争時代に破壊されることもなく、現在に至るまで当時の繁栄ぶりを今に伝えている。

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。


来遠橋(日本橋)

主な建築物

  • 来遠橋(日本橋) - 幅3メートル、長さ18メートルの中国風の屋根付橋だが、1593年に日本人が建設したと伝えられ、2万ドン札の裏側にも印刷されている。
  • 福建会館 - 1773年に建設された華人の会館。
  • 広肇会館(広東会館) - 1786年に創建された広東系中国人の会館で、中華街の名残り。
  • 海南会館 潮州会館
  • クアンコン寺(関帝廟)
  • クアンタンの家(廣勝家、チャンフー通り77番の家) - 約380年前に建てられた中国家屋。
  • タンキーの家(進記家) - ベトナム文化省から、世界文化遺産登録前に「ベトナム社会主義共和国の国宝第1号」に指定された。
  • フーンフンの家(馮興家)


潮州会館